今週2回目の東京出張の旅路の途中でこの記事を書いております。
涼しい北海道から夏場の時期に東京に行くことの不条理さを感じないでもないですが、事前に予定を入れてしまっていたのでやむを得ません。
さて、先日、とある専門職で社会的地位のある方とお話をしていたところ、新しくご著書を書かれたということでその話になりました。
その本は専門職の領域の専門書ではなく、人生の生き方にまつわるような内容とのこと。
人生の一場面、一時期における処し方について解説がされているようでした。
私は専門領域の外であることと、どのような人をターゲットにしているのかについて疑問を持ったために、その方に「どのような人にとって役に立つ話なのでしょうか。」といった趣旨の質問をしました。
しかし、その方は「当然どんな人にも役に立つでしょう。」と言わんばかりの顔で、滔々と持論を展開され始めました。
もちろん、その時点で私は本の中身を読んでいませんし、中身を読んで全くその通りだ、と思う可能性はありました。
しかし、何らかの学術的、科学的論説ならともかく、人生の生き方について「これが正しい」ということはそう簡単なことではなく、かつ、その方のバックグラウンドを鑑みると(失礼ながら)断言できるような領域までは到底到達しているようには思えません。
そもそも私の質問に対して答えるでもなく、立ち止まるでもなく、自説に終始するような態度を取っている時点で、何か重要なことに気付く機会を失ってきたのではないかと思わざるを得ません。
もちろん、しっかりした自説を持ち、その論証に励む態度は必要です。
しかし、あまりにも自己確証バイアスが強くなり過ぎると、過度な全能感を持ち始める恐れがあります。
高学歴の人に多いこのような全能感は、ときにその他の意見や疑問をシャットアウトしてしまい、アンチテーゼを得る機会を失ってしまうことになります。
アンチテーゼを得られなければ、アウフヘーベンも起こり得ないのであり、自分自身が発展する機会を自ら放棄することになります。
まずは人の話くらいはきちんと聞き、そのうえで反応を考えることは、相手のためのみならず、自分自身のためにも必須のことではないでしょうか。