投稿日:2018年06月17日

【札幌 弁護士コラム】「勉強熱心」とは褒め言葉なのかどうなのか、という疑問

最近、少々疑問に思うことがあるのですが、「勉強熱心」とは褒め言葉なのでしょうか。

小さい頃は誰しも親から「勉強しなさい!」と言われるものであり、勉強をしていると褒められたものでしょう。

 

しかし、こと社会に出てみると勉強するということが本当にいいことなのかに疑問を持つ場合があります。

もちろん、私も資格試験を通った人間ですので、勉強しなければ得られない資格や地位ももちろんあり、それは有益なものでしょう。

 

それに対し、「なんとなくこの知識を得ておいたほうがいいんじゃないか。」とか「英語くらいはできたほうがいいよね。」とか「AI技術とか知っておかないと今後は苦労するよね。」といったような言い方をされる場合があります。

しかし、このような動機や目的意識が不明確なものを学んで何らかの具体的な成果がうまれるかというと疑問を持たざるを得ません。

その人の目標や目的に対する位置づけが定まっておらず、勉強したはいいものの何にも生かせずに終わってしまうことが往々にしてあるからです。

 

逆に何も考えずに行動しているように見えて、やたらめったら結果を残している人もいます。

(失礼ながら)中小企業の社長さんなどで、直感で経営しているように見えて潤沢な利益を出している会社を作ったような人も数多くいます。

もちろんこのような人でも日々の経営課題に直面し、学んだことを次に生かすようなことは行っているのでしょうが、いわゆる「勉強」とは性質の異なったものです。

 

少なくとも「勉強をしていればすべての課題は解決できる。」といった発想や、「勉強することで必ず自分の目標が達成できる。」といった考え方、「うまくいかないのはすべて勉強が不足しているからだ。」といったようなことは何かが間違っているように思います。

勉強の重要性もわかりますが、それ以前の目的意識や行動力がより重要なケースも多く存在します。

 

「勉強熱心だ」と褒めるのであれば、「勉強によって成果を出している」と褒めるのが本来正しいのではないかと思う今日このころです。