投稿日:2018年05月05日

【札幌 弁護士コラム】なぜ人には差がつくのかの考察

GWも終盤に差し掛かりました。
今年のGWは多くの人とふれあうことができ、有意義なものになりました。
明日は溜まった作業を少しでもはけさせる1日になりますが…。

さて、今日のテーマは「人に差がつく原因」です。
同じ業界で同じくらい頑張っているような人でも、いつかしら大きな差がついているようなことがあります。
もちろん、これには微差の積み重ねによるところ大きいですし、決して小さな努力や小さな工夫は看過されるものではありません。

しかし、それ以外の要素として「これはあり得ないよね。」と思われて消えて行く人がいるということです。
すなわち、野球の試合に例えていえば、普通の試合であれば1点ずつを取り合って点数を競うようなところが、突然の乱闘によってチーム全員が退場させられてしまうようなものです。

このようなことはニュースを見ていると良く出てきます。
最近であれば、某役所の局長だったり、某県の知事だったり、某役所の事務次官などが出てきていたりしますが、このようなことは昔から往々にしてあることです。
しかしこれらの人たちもニュースになるまではエリートと呼ばれていた人であり、それこそ点の取り合いであれば常に勝ち続けてきたようないわゆる「勝ち組」の人たちです。
そのような「勝ち組」の人たちであったとしても1つの落とし穴に落ちてしまえば、地位も、名誉も、収入も一瞬にして失ってしまうというものです。

このようなことは極端に思えるかもしれませんが、事業をやっているような人であれば、実は小規模なものは毎日のように起こっていることなのかもしれません。
例えば、提供した食べ物に虫が入っていたり、クライアントとの約束の時間に遅刻してしまったり、メールを誤送信してしまったり、このようなことは起こりがちなことです。
このような小さな出来事であっても、人の評価というのはライバルとの比較においては最低ランクまで下がってしまうものです。

そうであるとすると、実は点を積み重ねる競争をしているように見える世界でも、汚点を1つでもつけてしまうと競争から脱落させられてしまうような現実があるといえます。
そのような競争社会の中では、汚点を生じさせないように当たり前のことを当たり前にやり、(表現はおくとしても)ライバルが勝手に脱落していくのを待つことだけでも圧倒的に優位なポジションを築くことができたりします。

そう考えてみると、人の差というのは得点する技術の差ではなく、実は汚点をつけないように当たり前のことを積み重ねる慎重さの差に起因するものといえるかもしれません。