投稿日:2018年04月24日

【札幌 弁護士コラム】裁判所に対するファンタジーと顧問弁護士の必要性について考えてみた

今朝ニュースを見ていたら高須クリニックの院長が名誉棄損事件で敗訴していたという話が出ていました。

<日刊スポーツHP>
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201804230000516.html

ここで高須院長が判決前に行っていたコメントが気になりました。

「最後は正義が勝つと思っています。」

これというのは裁判所に対する一般市民からのファンタジーを象徴するような言葉に思えてなりません。
それというのも、そもそも裁判というのは双方当事者における「正義」のぶつかり合いであるからです。
しかし、一方当事者から見ると自分だけが正義であり、相手方当事者は悪又は正義でないなにかしらのもの、という見方をしがちです。
そうであるからこそ、裁判所は正義である自分を勝たせてくれると信じ込んでしまうのです。

裁判というものは、実は何のファンタジーのかけらもないものであり、過去にあった出来事を粛々と検証してく作業に過ぎません。
ですので、いい弁護士をつけたら逆転するとか、いい尋問をすればどんな事件でも勝てるといったものではありません(そのようなケースも全くないではありませんが。)。

そもそも裁判になった事件で土台となっている事業や市民生活はダメージを受けているのであり、その紛争を起こさないようにすることのほうが重要であったはずです。
夏休みの宿題で例えて言えば、8月25日以降にどれだけ頑張れるか、よりも7月20日からどれだけコツコツやってきたかが重要であるということです。
どうもその意味で8月25日以降に頑張るような弁護士のほうがもてはやされる傾向があるのですが、本当に事業や市民生活にいい影響を与えられるのは7月20日からコツコツとやる弁護士であるはずです。
7月20日からコツコツやるというのは顧問弁護士の仕事なのですが、これがどうも軽視されているように思えてなりません。

裁判所に対するファンタジーはこのような弁護士の使い方にも影響を及ぼしているように考えられます。