前々からよく言っているこのなのですが、「訴訟がどれほどまでの大きな効果をもたらすのか」については疑問を持っています。
それというのも、訴訟による結果の不透明性・不安定性、費用・時間・労力のコスト、回収リスク等の終局時のリスクの残存等、訴訟による弊害というものはかなり大きいものがあるためです。
一方で、一般の方から弁護士に対しての「訴訟で勝ってほしい」又は「訴訟で勝てる弁護士に頼みたい」というニーズは強く存在します。
これは当たり前のことのようにも思えますが、本当にそうであるのかということには疑問が湧いてきます。
それというのも訴訟に至るということは、それまでに紛争が発生しているのであり、紛争にはそれ相応の原因が存在します。
以前に裁判所のデータを見たことがあるのですが、訴訟の内容の内訳のうち、約4分の1は交通事故であり、残りの4分の3は離婚、相続等のトラブルということになっているそうです。
ここで、気付いて頂きたいのは、交通事故は(安全運転を心がけるなどの対策はもちろんありますが)突発的なものでありあまり予防になじまないものであるのに対し、離婚や相続などというものは突発的なものではなく、何年もの歳月をかけて徐々に発生してくる問題であるということです。
すなわち、人が抱える訴訟問題というのは、長年の問題の積み重ねによって発生するのが常態であるということです。
裏を返すとすれば、いくらでも訴訟に至るまでの分かれ道はあったはずなのに、回避するような措置を行ってこなかったがゆえに訴訟に至っているといっても過言ではありません。
その一方で思うのが、しっかりとした目標を持って、日々それに向けて進んでいるとすれば訴訟などという問題に突き当たるのでしょうか、という疑問です。
もちろん、目標の実現に向けて進んでいる人であっても、いわれのない嫌がらせを受けたりしてやむなく訴訟を起こさなければならないようなこともあるでしょう。
しかし、ここで言いたいのはそのようなことではなく、目標を持って、それを実現しようとするのであれば、あえて訴訟による解決を志向しようとしないのではないか、ということです。
上記のとおり訴訟というのは、時間と費用と労力をとんでもなく使う作業です。
目標をしっかりと持っていたとすれば、そのようなコストを支払うよりもより目標の実現に向けて有効な部分に投資をするのではないかと思うのです。
訴訟をしようという前に目標の実現にとってもっと有効な手段を選ぶ余地がないか、その前提として何を目標としており、その目標に対して訴訟というものがいかに位置付けられるのか、今一度考えてみることも必要なのではないでしょうか。