投稿日:2018年03月16日

【札幌 弁護士コラム】環境が人を作る、人が環境が作る、という関係性

東京出張に向かう途中で書いています。

これで3週連続で終末を東京で過ごすことになります。

今回も学びを深めに行ってきます。

 

今日は東京に行くということで一時的に環境が変わることになりますが、「環境」というと人によってかなり受け止め方が異なるように思います。

すなわち環境に対して敏感であるのか鈍感であるのか、環境を所与のものとして考えるのか自分でコントロールするべきものと捉えるのか、においてかなりの温度差があるように思います。

 

まず、敏感か鈍感かについてです。

人は誰しも気温の変化や湿度の変化のように感覚に訴えかけるような環境の変化については気付くことができます。

しかし、社会環境、経済環境、文化環境といったようなものに対してはアンテナを立てていないと気付かないものです。

例えば「日本の景気はいいですか、悪いですか。」と訊かれたときにすらすらと答えることができる人は経済環境について敏感ということができます。

一方で「最近、給料も上がらないし、景気は悪いと思うんですよねー。」などと言っている人は経済環境について語っているものではなく、個人的な経済状況について語っているに過ぎません。

このように環境といっても感覚に訴えかけないようなものについては、アンテナを立てて情報を吸収していくプロセスが必要になります。

しかし、普通の人はそのようにアンテナを立てて情報収集しようとしないものであり、環境を感じ取ろうとする人は多くありません。

 

次に、所与のものとしてとらえるか自分でコントロールすべきものと考えるかです。

所与のものとしてとらえるとはある環境に置かれることを当然と考えることをいい、自分でコントロールすべきものとするのは環境は変えられるという前提に立っているという意味です。

所与のものとしてとらえるということは、自らに生じた結果を環境のせいにしがちになってしまいます。

すなわち、環境に原因を求めていくと、例えば仕事で成果が出ないことを「上司が悪い。」「会社が悪い。」「社会が悪い。」として、他者のせいにしていくことになります。

そうすると、ややもすると全ての結果を環境に結びつけようとするようになり、自己に対する反省、省察、検証といったことを行わないようになってしまいます。

一方で、自分でコントロールするべきものと考える人は、環境までも自分の行動の結果出来上がっていると考えているものです。

そうであるとすると、ある結果に対して環境を作出したものを含めたすべての行為を自らの責任としてとらえようとします。

すると自己に対する反省、省察、検証が発生するようになり、自己の成長を促す要因になります。

 

このように環境をどれだけの範囲で捉えているか、また環境に対してどのように取り組んでいくかは、自己の行為によって結果を残すために大きな影響を与えるものです。

環境を作り出し、又は自らが必要とする環境に身を置くことに積極的に取り組むことは好結果を生み出す条件であるといえるのではないでしょうか。