最近、士業の業界でよく言われるのが「AIに取って代わられるのではないか。」という命題です。
税理士業務や社労士業務のルーティーン的な部分については近い将来においてAIによる業務処理がなされることとなる、と言われていますが弁護士業務も例外ではないかもしれません。
そのような中でAIにはできない仕事とは何なのでしょうか。
その疑問に対する1つのヒントが、「人は完全なものを好むわけではない。」ということです。
例えば、長嶋茂雄がこれほどまでに国民から愛されているのは野球が上手かったからだけではなく、どこか隙のあるような微笑ましい言動をする人柄であったことからそのようなことが言えます。
また、将棋の名人がAIに負けたことがニュースになりましたが、そうだからと言ってプロの棋士の価値がなくなるわけではなく、ファンは人間である棋士の将棋を見たがることもその一例として挙げられます。
別の例で言えば、演歌の歌詞などもそうです(演歌以外でもそうかも知れませんが。)。
演歌の歌詞の中には、フラれた女に未練を垂らす男が居たり、ダメな亭主を甘やかせてしまう妻が居たり、貧乏暮らしの中で半ば開き直って生きていくことを決意する夫婦が居たりと、どう見ても完全なる人生を歩んできたような人は描かれていません。
そのような人の感性がある以上、AIが人の仕事の全てをカバーできるということはないでしょう。
「知動、理動、感動」という言葉があるように、人は知識や理屈だけで動くものではなく、感動(感情の変化)を伴って初めて行動に変化が起こるものです。
感動を生み出す仕事をしている限りは、AIがいくら優秀であっても仕事がなくなることはないものと考えられますが、いかがでしょうか。