今日は朝から顧問先訪問、その後に交渉のために地方出張でした。
出張の帰りには全国ニュースにもなった爆弾低気圧に遭遇し、数メートル前の視界も不明瞭になる中を何とか帰ってきました(私は運転していませんでしたが(笑)。)。
さて、今日は珍しく仰々しいタイトルを付けてみました。
が、実はそんなに内容は大したことはありません(笑)。
そもそも交渉が必要になる場面というのは、ルール(及びあてはめを含む。)が明確でない状況が前提となります。
それというのもルールが明確になっているのだとすれば、結論が明確に出るのであり、結論に逆らおうとするほうはただ単にゴネているだけということになるからです。
ルールが明確でない以上は、何が正しくて何が誤っているというものは存在しないことになります。
そのような状況下での判断基準は「感覚」だけによることになり、この「感覚」というものは非常にあいまいなものとなります。
さらにこの「感覚」というものを突き詰めていくとすれば、「損得勘定」でも「金銭評価」でもないものに至るように思われます。
私はこれを「納得感」というものと表現しています。
私は依頼者の方の依頼を頂く際、「いくらまでなら妥協できますか。」という訊き方をよくします。
私は和解しても良い委任範囲の確認の意味で質問をしているものです。
しかし、多くの依頼者の方は明確な回答をお持ちではなく、「とりあえず第一案をぶつけてみて。」とか、「あまり多い(少ない)金額にならないのであれば…。」といった回答が多く見受けられます。
この理由は経済的側面によるものも否めないものの、実は交渉を開始してから結論が出るまでのプロセスに対する「納得感」を計っているのではないかと考えています。
ここでは、和解に至るまでに出した考慮要素、当方の提案に対する相手方の態度、相手方だどの程度妥協したか、相手方に対する不の感情がどの程度やわらいだか、等の要素を加味して「納得感」の閾値を超えるかどうかを判断しているように思われます。
最初は「絶対に許さない。」と言っていた人でも、和解に漕ぎつけられるというのはプロセスの中で「納得感」が芽生えるようになるからのように思われます。
そのことからすると、相手方に対して当方が有利な証拠をこれでもか、と突きつけるだけでは「納得感」は得られないのであり、「この人が言うのなら仕方ないか。」とか、「ここまでやってくれるなら仕方ないか。」とか、「ここまで譲歩するのなら仕方ないか。」といったことを相手方に思ってもらえるように進めることが得策であるように思います。
このため、私が交渉を進めるときは、いかにこういった「納得感」を持ってもらえるかを重視します。
これは相手方に対してもそうですし、依頼者に対しても同様です。
上手く交渉を進めるためには「納得感」が必要ということ、「納得感」は優れて感情的なものであること、和解成立のためには双方に「納得感」が芽生えることが必要であること、あたりを意識すると交渉がうまくまとまる可能性が高まるのではないかと考えています。