投稿日:2017年11月29日

【札幌 弁護士コラム】強制わいせつ罪の判例変更に思う

今日は極めて珍しいのですが、法律関係の時事ネタです(笑)。

 

【強制わいせつ罪の成立要件 最高裁が47年前の判例を変更】(NHK NEWS WEB)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171129/k10011239811000.html

 

今日、日馬富士の引退とともにこんな記事が話題になっていました。

 

強制わいせつ罪が成立するためには「わいせつ意図・傾向」という内心の意識をもってわいせつな行為に及ぶことが必要であるとされてきました。

つまり、外形的にはわいせつな行為であったとしても、誰かに復讐をするのが目的であっただとか、今回のケースのように金を借りるために必要だったからとか、そのような場合には強制わいせつ罪は成立しないとされてきました。

 

このようなことは実は法律として決まっているものではなく、裁判所が判断した判例によってそのように運用されてきたものにすぎません。

今回は判例変更といって、裁判所が公式見解を変えたような判断がなされたために話題となっています。

このように裁判所の見解一つで結論が全く変わるために、「わいせつ意図・傾向」がないと成立しないと判断した判例も批判されましし、今回の弁護人からは今回の判断について批判を受けています(まぁそれは無罪を目指して弁護活動を行っているので当然ですが。)。

 

私(荒木)が着目したのは、今回、裁判所が判例変更を行った理由です。

判決文を読んでいないのに語るのもアレですが、報道によると裁判所は「性犯罪に対する社会の受け止め方の変化を反映したものだ」と指摘しているようです。

 

しかし「性犯罪に対する社会の受け止め方の変化」とは何なんだろう、というのが私の疑問です。

確かに最近になって強姦等が親告罪(被害者が告訴しなければ罪にできない犯罪)ではなくなり、性犯罪の成立する要件が緩くなっているような事実は存在します。

また、一般のニュースでも児童ポルノの話や青少年健全育成条例違反(18歳未満の者との性的な関わり等)のような話が増えているような気がしなくもありません。

 

それでも、「性犯罪に対する社会の受け止め方の変化」というような雲をつかむような話に依拠して、50年にもわたって運用されてきた裁判所のルールがいきなり変わってしまうというのは問題視せざるを得ません。

(被告人にそこまで同情しているわけではありませんし、価値判断としては有罪とするべき事件であるかも知れませんが)この被告人にとっては有罪か無罪かでこれからの生活に天地程の差がでるわけですが、裁判所の判断というものは当事者の置かれている状況や現実とは全く違うところでなされているように思わざるを得ません。

 

どんな仕事でもそうですが、現実を見ざるしていい仕事はできないものですし、現実を見ないでした仕事ほど危険なものはないように思います。

大きい仕事をするようになればなるほど、このことは肝に銘じておかなければならないと感じます。