投稿日:2017年11月24日

【札幌 弁護士コラム】「反面教師」に学ぶ

今年も残すところあと1か月あまりとなりました。

年末ということで来年を見据えた意味で放談会を企画しました。

面白いことをお話しできればと思いますので、是非お越し下さいませ。

 

<イベント概要>
イベント名:年末放談会~明るい2018年を迎えるための5つの心掛け~
講師   :荒木俊和
日時   :2017年12月22日 18:00-20:00
場所   :札幌市中央区北2条西10丁目2番地7 Wall地下セミナールーム
参加費  :3000円(懇親会費は別途4000円程度)
申込方法 :①下記Googleフォームから申込み

https://docs.google.com/forms/d/1krgvXW8hISGH9BMRkz5l5hnkCBg87AX7-YXCnsPLrOU/edit
      ②電話で申込み(011-252-9301)
      
※懇親会の概要については別途お知らせいたします。

 

さて、最近読んだ本で「反面教師」の由来を知りました。

大昔から存在する言葉だと思っていたのですが、実は最近の言葉であると知りました。

この言葉は1957年に毛沢東が作った言葉であり、それまで政治的に誤った考えを持っている者は政界から排除されるのが通常でしたが、毛沢東の考えではそのような者を排除するのではなく、孤立させたまま残しておくことで他の者に正しい考えを学ばせるということが眼目であったようです。

 

政治的な信条かどうかはともかく、出会う人すべてが自分のお手本になるような人であるかというとそうではありません。

「この人から学びたい!」とか「この人について行きたい!」とか「この人のようになりたい!」という人よりも「この人はどうかなぁ…」とか「この人、ダメなんじゃね?」とか「この人みたいにはなりたくない!」という人のほうがもしかすると多いかもしれません。

後者の部類に入る人とは付き合いを避け、距離を置くことが通常でしょう。

 

しかし、ものは考えようで、そのように距離を置きたくなるような人も「反面教師」としてとらえることができます。

一つ目線を引いて抽象化することによって、その人のネガティブな要素を取り出し、自らの教訓とすることで学びが得られることがあります。

 

「我以外皆我師」(われ以外みなわが師)とは吉川英治が好んだ言葉とされていますが、この考え方に従うとすれば、自分との違いがどこかにありさえすれば必ずしも優れた人物だけでなく、どのような人からも学ぶことはできるはずです。