今日は東京で船井総研の企業法務研究会に参加してきました。
この研究会は全国から企業法務を志す弁護士が集まり、情報共有を図るとともに船井総研のこれまでの各業界に対するマーケティングの知識をコラボレーションした会合で、他の地方の有力事務所の動向などがわかり参考になっています。
そのような会合ですので、話が弁護士報酬の金額いかんという話に及んだりもします。
そこで少し思ったのが弁護士の「原価」というもの。
この原価については会計上等では一定の考え方があるのでしょうが、通常の意味で考えると弁護士の原価なるものはゼロであるということになるのでしょう。
しかし、これはあまりにも不当なように思われます。
例えば弁護士と大卒のサラリーマンを比べた場合、どうでしょうか。
弁護士になる場合、基本的にロースクールに通学する必要があり、国公立で2年コースであっても授業料だけで150万円くらいはかかります。
その上、最近では減ってきているのかもしれませんが、予備校に通えば100万円くらいは平気でかかってしまいます。
その上、今期までの司法修習生は国からの貸与金によって生活することとなっており、その間、兼業禁止規定によりアルバイトすらできない生活を1年間強要されています。
この間、通常のサラリーマンであれば収入を得られていたのが無収入になるということです。
以上のようなことに加え、一番大きいのは気力も体力も充実している20代前半のリソースを勉強に集中投下しなければならないという代償を払っていることです。
勉強期間は人によるでしょうが、司法試験に合格するまで5年から7年くらいは勉強に投入するのが平均ではないでしょうか。
その間、時間が取られるのはもちろん、勉強以外に対する気力を奪われ、将来への不安を抱え続ける時期を過ごしていたことになります。
さらにそこまでやったら全員が試験に受かるというものではなく、途中で挫折したり、3回不合格になって司法試験を断念せざるを得ない人も出てきます。
このようなことを考えると非常に多きいコストを払い、リスクを背負って弁護士になったことがお分かりいただけるのではないでしょうか。
「弁護士は何も原価がかかっていないのに、報酬が高すぎる。」という向きも聞かれますが、それは大きな誤解であると考えています。
最近は弁護士の過当競争が取りざたされ、弁護士の能力不足や不祥事なども目立つような状況になりつつありますが、弁護士は少なくともコストとリスクに見合っただけの自意識を持ってもよいのではないでしょうか。
ピカソの有名な逸話で、ピカソがある女性から絵を描くことを求められた話があります。
女性がピカソに絵を描くことを求めたところ、ピカソは30秒で絵を描きました。
ピカソは女性に絵を渡すとき「100万ドルになります。」といいました。
女性は「たった30秒で100万ドルは高すぎませんか。」と言ったところ、ピカソは笑ってこう答えました。
「この絵は30秒で描いたのではないのです。30年と30秒かかっているのです。」と。