昨日、東京から札幌に帰還しました。
昨日は家族信託の第一人者的な弁護士の先生にお会いするなど、今回も充実した出張となりました。
閑話休題。
人は多かれ少なかれ欲求を持って生きています。
欲求が強すぎると批判される部分もありますが、全くないということになると今度は生きる気力がないということになります。
一方で欲求というものは大きく2つに分けられるといわれています。
それが安楽の欲求と充実の欲求です。
この2つは同じ欲求でも全く方向性が異なります。
すなわち、安楽の欲求とは、安定的に、安心して生きていけることを望む欲求をいいます。
例えば「楽して多くの収入がほしいなぁ。」「誰か食べ物を作って持ってきてくれたらいいなぁ。」「何もしないでも健康でいられたらいいなぁ。」などというものです。
一方、充実の欲求とは、自らの目的を達成するために、困難を乗り越えることを志向する欲求をいいます。
例えば「一生懸命勉強して司法試験に合格しよう。」「営業を頑張ってインセンティブ報酬を増やそう。」「毎日リハビリをして健康を回復しよう。」といったものです。
ここで、大きく2つに分けられるといったのは、このどちらを志向するかによって行動の準則が大きく変わってくるからです。
安楽の欲求を志向しているとすれば行動の準則は、「楽をする」「努力をしない」「他人からもらえることを求める」のようになり、いずれ行動もそれに従うようになります。
そうなっていくと何ら自助努力を行わなくなり、他者依存傾向が強まり、やがては資産や能力が逓減していくことになります。
一方で充実の欲求を志向していれば行動の準則は、「苦労をいとわず行動する」「努力を重ねる」「他人に与える」というようになり、それに従った行動をとるようになります。
そうすると自然と手数が多くなり、成功に至る可能性が高まるのであり、資産や能力は逓増していくことになります。
このように考えてみると安楽の欲求を志向すべきか充実の欲求を志向すべきかは自明の理のように思えます。
しかし、人の難しいのはどうしてもいつの間にか安楽の欲求に流されてしまうことです。
安楽の欲求に流されないようにすることは容易なことではありませんが、常に(高い)目標設定を行う、何があっても自分の責任であると考える(自責思考)、誰かに監視してもらう(衆人環視)等の方法があります。
これまで安楽の欲求か充実の欲求かを意識してこられなかった方が意識をしてみると、驚くほど安楽の欲求ばかりであったことに気付かされることでしょう。
すぐにすべてを充実の欲求に置き換えることは困難ですが、今日から1つでも充実の欲求に従った行動を意識的に取ることを考えてみてはどうでしょうか。