(本記事は平成29年4月8日分の未投稿記事です。)
弁護士などもまさしくそうなのですが、陥りがちな誤った考え方があります。
それは「知っていればできる」と思い込むことです。
この誤った思い込みがあるがゆえに知識偏重、肩書重視の世論が生まれているのだと考えられます。
そもそも知識を持っているというのは実際の問題解決の観点からすると、本当に入口に入ったところに過ぎないものです。
弁護士に置き換えていえば弁護士資格を取っただけの段階であり、この段階で実際の問題解決までできる人はまず存在しません。
弁護士は「知的プロフェッショナル」と称されることもあり、それはそれで間違っていないのかもしれませんが、「法律を知っているから知的プロフェッショナルである。」というとこれは間違った認識といわざるを得ません。
それというのも「プロフェッショナル」という意味合いは職業的に成熟していることをいうのであり、知識があるから「プロフェッショナル」と称さるべきではないからです。
弁護士が知識を前提として紛争解決等の知恵やノウハウを有しているからこそ「知的プロフェッショナル」と呼ばれうるのです。
そうすると「プロフェッショナル」と呼ばれるためには知識以外に何が必要かという話になりますが、これは筆舌に尽くしがたいものがあります。
これにはありとあらゆる紛争解決等に必要な技術やノウハウが含まれるからです。
例えば、相談に来られた方の真意を汲む力、相手方に対する通知書でこちらの意図を十分に伝える力、裁判官の心の動きを読む力、和解交渉において適切な妥協点を導き出す力、必要な情報が何でありそれを得るためにはどうすることが最も早いかを判断する力、人を紹介されてその人に対して第一印象で依頼させたくする力など、ざっと挙げただけでもこれくらいは瞬時に思いつくくらいです。
ただこのような技術やノウハウに共通して言えるのは、いくら本を読んでも身に付くものではなく、また漫然と事務作業をしていても身に付くものではないということです。
これらは真にプロフェッショナルを目指し、気を入れて業務に向き合わなければ身に付かないものです。
そしてこれらの技術やノウハウを身に付けた者が真に紛争解決等の目的を果たせる実力があるといえるのであり、プロフェッショナルと呼ばれるにふさわしい存在となるのでしょう。