投稿日:2017年03月25日

【札幌 弁護士コラム】刈り取るのではなく、栽培して自然になるのを待つという発想

最近、よく思うのが、ビジネスにおいても人生においても焦りは良くないということです。

正確にいうと、努力もしていない、何の変化もしていないのに結果を焦って求めることは良くない、という意味です。

 

中国の故事成語で「助長」という言葉があります。

これは孟子が弟子に対して焦って成長を求めてはいけないと諭した時のたとえで、宋の国の農夫が苗の成長が遅いのを待ちきれず、茎をひっぱって伸ばしたために、みんな枯れてしまった、という話を出したことに由来するのだそうです。

この農夫は作物の収穫という結果を性急に求めてしまったがために、却って収穫を得られないという結果を招いてしまった、というわけです。

 

このようなことは実は日常生活や普段のビジネスでもやってしまいがちなことです。

努力や改革をして、やり尽くして、そのうえで運が良ければ結果が出るのが本来であるにも関わらず、努力すれば必ず結果が出るだろうという発想になってしまったり、ややもすれば努力もしていないのに結果がほしい一心になってしまったりすることすらあります。

このように結果を渇望して行動することを例えた言い方をすると「刈り取りにかかる」ということができるでしょう。

 

もちろんビジネスでは資金繰りがつかなくなればやめるしかなくなるのであり、人生においても必要なものが得られなければ生命を維持できなくなることから、一定の段階で刈り取りにかからなければならない場面はあるでしょう。

しかし、常に刈り取りを行おうとしたり、又は刈り取りをせざるを得ない状況が続いてしまったりすると、次第に周囲の資源は枯渇していき、段々と苦しくなってきます。

例えば運転資金が足りなくて借りられそうな金融機関、サラ金、友人知人に対して次々に融資の申し込みを行っていればすぐに貸してくれるところがなくなってしまうようなものです。

 

一方で刈り取りを一切行わず、やることをやって原木を栽培し、自然と作物がなるのを待つという態度で過ごしていれば、資源は増加していき、段々と必要な労力が減少し、周囲との関係性も良くなっていくことになります。

最初の段階で刈り取りを行わずに待っているのは大変な部分もありますが、そのところさえ乗り切れば後は簡単に軌道に乗っていくことでしょう。

 

このように日々の行動の中で、自分が「刈り取っている」のか「栽培している」のか、意識するだけでも結果は自ずと変わってくるのではないでしょうか。