(本記事は平成29年3月17日分の未投稿記事です。)
最近(というか前からそうですが)、公共施設、公共団体などで不祥事があり、その責任者が記者会見で謝罪するという場面が見受けられます。
その中でもよくあるのが学校におけるいじめの問題や教師の不祥事などで校長や教育委員会の重役などが謝罪をするような姿です。
なぜこのようなことが続発し、なくならないかということを少し考えてみたのですが、1つには再発防止策を取らずにその事件限りの対応しかしていないこと、もう1つが対応についての判断基準を持っていないことが挙げられるように思います。
まず1つ目については、事件処理がその場限りのアドホックな対応で済ませているということです。
この根底にあるのが、ほとんどの公務員には数年に一度の転勤があり、その最終責任者(校長、教育委員長等)についても1つのポストにとどまる期間がそう長くはないということです。
すなわち、1度問題が発生したとしても最終責任者が自分の役職を降りてしまえば後は対岸の火事になるのであり、次の責任者のことまで慮る必要がないということです。
このような責任者の「無責任主義」がある限り、再発防止などというのは形骸化したものに過ぎないことになります。
もう1つ挙げられるのが、現場にも責任者にも事件処理の「判断基準」というものがないということです。
もっといえば連絡系統の基準、判断責任者の基準、公表基準、謝罪の方法態様の基準、事後処理の基準、引き継ぎの基準、懲戒の基準などの基準すべてがあやふやであるように思われます。
記者会見などでよく聞かれるのが「今後、関係各機関と対応を協議していきたい。」という言い方です。
言っている本人はこう言えば誠実に対応しているアピールにでもなると考えているのかもしれませんが、コンプライアンスを意識した観点からすると的外れも甚だしい発言にしか聞こえません。
というのもこのような発言が聞かれるのは、「これまでにこんな問題を想定して動いたことがなく、何の準備もしておらず、誰が判断するのかも決まっておらず、どう処理するのか皆目見当がついていない。」ということを自白しているに等しいからです。
このような場面を見たときに思うのは「なぜこのようなときに弁護士を使わないのか、そもそも公共団体に弁護士が入っていないのか。」ということです。
弁護士が入っていればすべての問題が丸く収まるのかというとそうではありませんが、少なくとも何らかの判断基準(=違法か適法か、行政の責任があるかないか、損害賠償義務があるかないか)を示すことは可能です。
そのように判断基準を示していれば前述のように「今後、関係各機関と…。」といった発言にはなりようがありません。
公共団体はもっと弁護士の積極活用を考えてもいいんではないでしょうか。
というようなことを朝のワイドショーを見ていてふと思った次第です。