(本記事は平成29年2月19日分の未投稿記事です。)
よく情報化社会の弊害として取り上げられるのがほしい情報はすぐに手に入るが、その情報が不正確であったり誤っていたりするとき、安易に信じてしまう人が多くなっているという問題です。
確かに、図書館に行って本を探して目次を開いて確認するよりも、インターネットの検索窓に知りたいキーワードを放り込んだほうが圧倒的に早く、かつ何かしらの情報が見つかる可能性が高いものといえます。
しかし、インターネット上の情報はメタ情報が明示されているとは限らず、誰が書いたものであるかがわからないものが多く、必ずしも信用性が高いものではありません。
また、インターネット上の情報は何らかの広告と結びついていることも多く、意図的に情報にバイアスをかけていることも一つの問題の原因でしょう。
しかし、より大きな問題というのは人が体系的な思考をしなくなるということではないでしょうか。
本来、人の行動というのは体系的思考があり、体系的思考に基づいた言語体系があり、言語体系に基づいた判断基準があり、日々接する事象を判断基準に当てはめてなされているものです。
これに対してインターネット上の情報というのはこのような体系をすっ飛ばして、目の前の疑問に対して直接的な回答を提供するものであり、反射的にそれが真実であるかのような印象を与えてしまうことになってしまいます。
例えば「交通事故で半年通院することになったがいくら損害賠償が取れるのか」という疑問を持ったとして、インターネットで調べたらある程度の金額の相場はつかめるかもしれません。
しかし、最終的な金額が決定するためには背後に膨大な法体系と判例の積み重ねがあります。
単純に「半年通院」といってもどのような症状で通院したか、後遺障害がどの程度残っているか、事故がどのような形で発生したかなど、金額決定に必要な要素はたくさんあります。
そのようななかで例えばインターネット上で「200万円」という金額が記載されており、それを盲信してしまったとしたら、真実とは離れた方向に向いて行ってしまいます。
このような問題を避けるためには「物事には体系がある」ということを意識し続けることが必要なのではないでしょうか。