昨日の続きのコラムです。
昨日は、新しい人と会うこと、新しいことを体験することの重要性についてお話しました。
今日は総括の重要性についてのお話です。
皆様は小学校のころ「帰りの会」というのをやりませんでしたでしょうか?(地域や学校によって呼び方は違うでしょうが、1日の最後にクラスで集まって話をするという会です。)
私のところでは、クラスの各人から良かったことや反省すべきことを発表し、ときには裁判まがいのことをするようなことが行われていました。
おそらく小学校の考え方としては、1日1回は自分(又はクラスメイト)の行いを振り返り、良かった点を伸ばし、反省すべき点を改善させることを促したかったのだと思います。
しかし、中学校以降はこのような行事はなくなり、1日1回の振り返りをさせてもらえる(又は強制される)場がなくなってしまいました。
このような「場」がなくなってしまって以降、自主的に毎日反省するような人はどれくらいいるでしょうか。
おそらくはかなり少ない割合でしかいないものと思われます。
しかし、反省が改善につながるのだとすれば、反省の場面というのは多ければ多いほうがいいはずです。
この意味においては反省についての強制力を持たせる「帰りの会」は非常に有効な手法であったと考えられます。
一方で反省の質という意味ではどうでしょうか。
小学生相手に多くを求めるのは酷なのでしょうが、その日に1回あったことだけを反省するだけでは、既に終わったことですので、全く意味がありません。
本当はどこかの部分でその日にあったことを総括し、抽象化させることに意味があると考えられます。
例えば、その日A君をいじめたB君に対して反省を促すということは、B君に対していじめが悪いことだという認識を持たせ、次の日以降もA君をいじめてはいけないという規範を立て、A君以外に対してもいじめをしてはいけないと禁止をする(法律的にいえば一般予防でしょうか。)ことを求めていることに意味があるといえます。
しかし、小学生の思考能力では抽象的な概念を操るのにはおのずと限界があるように考えられる場面があったようにも記憶しています。
反対に大人になってからというもの、時間がないだの、他の人に振り回されるだの、飲み会に行かなきゃならないだの(?)で毎日、定期的に反省の機会を設けるというのは一苦労だという方が多いと思います。
しかし、毎日、どこかのタイミングで反省の機会を設け、1日の行動を振り返るとともに、新しい人との出会いや新しい体験を総括して、抽象化することで翌日以降の行動が改善することが見込まれます。
抽象化する際には、それを明確な言語に変え、判断基準として活かせるようになれば少なくともどこかしらの場面での判断と行動が変わることが期待できます。
ということでこのブログも「帰りの会」にあやかり、毎日書くことにしているのです。
明日は「意味付けの仕方」についてお話しします。
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